蹴りたい背中  綿矢りさ

高校になってから急にクラスのグループに馴染めなくなり、クラスでも浮いた存在になっている女の子の「私」。いっぽうどこにでもいそうな男子高校生である「にな川」は、実はある女性ファッション誌に出てくる「女の子」に夢中で、自分の世界に篭りっきりになっている人だった。
どうみてもこのふたりに接点など生まれそうにないのだが、あることがきっかけで急にふたりの人生が交じり合う。それは「にな川」が崇拝といいっていいぐらい好きな「女の子」と「私」が偶然にもあったことがあることを、「私」がポロッとこぼしてしまったのだ。その話に喰いついた「にな川」は、「私」に出会った時の詳細を聞くのだが、実は「私」にとって「女の子」との思い出はあまり思い出したくない後味の引く記憶だった。だから「私」は詳細な話を「にな川」に伝えない。ただ、あの場所であったという感じに。

それからしばらくした後に、「私」が「にな川」の家に行く機会ができた。「にな川」の部屋は2階にあるのだが、母屋から離れているみたいに階段が外から入るようになっている。その部屋で「私」が発見したものは、古い日本の部屋づくりと独身男性特有の見た目の気にしない部屋配置、そしてなによりプラスチックケースに入った「女の子」に関するありとあらゆるグッズだった・・・。

これ以上はネタバレになるので、あらすじはここまでにしてます。ここで僕はひとつの疑問について書き留めておきます。それは「私」と「にな川」は恋に発展するのだろうか、ということです。「にな川」は結局「女の子」への距離の遠さを痛感して、新しい人生を始めようとするのかな?というところで終わります。一方で「私」は「にな川」に対してかなり倒錯した感情を抱いています。それは性欲でもありますが、単純に「にな川」への興味を含んだ感情が折り重なってもいます。「私」の友達として登場する「絹代」はそれを恋といいますが、それはそれでけして間違ってはいません。でも中学生や高校生の時分で語られる恋って正直にいうと、純粋なことだけや、好き・嫌い、セックスが恋として語られます。しかしこの小説では「私」が「にな川」に対してかなり一方的な興味を示しています。好感よりもむしろ動物を観察するような感情、気持ち悪いけれど彼の何かに惹かれている自分。このような複雑な恋は中高生にはハードルの高い恋愛ですし、さらにいえば「私」という人はかなり特殊な恋愛でないと満足できないのではないか、という疑問もわいてきます。

結論をいうならば、もしこの話が続いていてもふたりは恋愛関係になることはないでしょう。おそらく「私」が飽きます。ある瞬間にフッと冷めるのです。そして自然と「にな川」との接点を遠ざけていくでしょう。「私」の感性なら彼と遠ざかろうとしている自分を自覚しつつも、それを止めることはできない。彼女の何かがもう彼との関係を続けたくないのだと感じてしまうのです。そして残ったのがこの小説で描かれた「私」にとっての純粋な部分でありましたが、おそらくこの小説では語らなかった「私」があったのだと想像します。それは飛躍して語ることが許されるなら、「私」が世間一般の女の子のような恋愛ができないのだということを自覚したといえば言い過ぎでしょうか。


蹴りたい背中 (河出文庫)

蹴りたい背中 (河出文庫)