富の未来 上下  アルビン・トフラー、ハイジ・トフラー

本書の著作者であるアルビン・トフラーは「未来の衝撃」や「第三の波」など未来がどのように変化するかについて記述した著作で有名になった人で、しばしば「未来学者」という肩書きで説明されることも多いです。「富の未来」という邦訳ですが、原題は「Revolutionary Wealth」となっていてこれを直訳すると「革命的な未来」となります。実際に目を通すと「革命的な未来」という邦題より、「富の未来」というタイトルのほうがしっくりしている気がします。ただ英語の原題である「revolution」という意味においては、まさに今起こっている現実と劇的に変わる未来について語った本書の意味が合っています。


まずトフラー氏は「富」の源泉というのは欲求であり、その欲求を満たすために今起こっている変化のことを以下のように説明します。

第一の波の富の体制は、主に栽培に基づいており、第二の波の富の体制は製造に基づいていた。これに対して第三の波の富の体制はサービス、思考、知識、実験に基づくものという性格を強めているのである。 p.61

ここでいう第一の波は人間が農耕栽培をはじめたこと、第二の波は産業革命が起こったこと、そして第三の波は富の体制がサービス、知識、実験、金融、情報技術などにおいて個人や社会が広大なネットワークを形成し、相互に影響しあう状態になりつつあることだといいます。
そしてトフラー氏はその変化は見かけだけの変化ではなく基礎的条件の深部で起こっていて、その深部では「時間」・「空間」・「知識」が、それぞれの時間で相互に影響しながら変化をし続けているのだと主張します。

どの企業にも、どの病院や学校、政府省庁、市役所にも、それぞれの内部に「時間の生態系」と呼べるものがあり、いくつもの部門やプロセスが相互に影響しあいながら、違った速度で動いている。完璧な同時化は達成できないが、通常の状況もとでは同期のズレは許容できる範囲内に維持されているとみられる。
だが今日の状況は通常とはとてもいえない。経営のグルの助言は現実離れしているが、グルが対応しようとした変化の加速は、当時もいまもきわめて現実的な問題だ。企業もそれ以外の組織も動きを速めるよう、過去に例のないほど強く迫られている。つぎつぎに起こる技術革新、即座に要求を満たすよう求める消費者や顧客、きびしい競争をいう要因が重なって、変化のペースが速まっている。ひとつの部門や部署が遅れれば、その影響が組織全体に何倍にもなって広がっていく。 p.101-2

...歴史を変える富のアジアへの移動、経済活動の多くにみられるデジタル化、國境を越える地域の勃興、場所や立地を評価する基準の変化はすべて、基礎的条件の深部にある空間との関係の変化という大きな流れの一部なのだ。そうした流れを背景に、一層大きな変化が起きようとしている。 p.146

いま、あらゆる種類の富とその基礎的条件の深部にある知識との関係全体が、過去に例のないほど急速に激烈に根本から変化しており、しかも、やはり基礎的条件の深部にある時間と空間との関係が同時に変化しているのである。この点を認識してはじめて、現在、富の流出をめぐって起こっている激変がどこまでの深さをもつものなのかを理解できる。 p.207


これらの「富」の変化やそれ以上の変化に対して認識を深めることで明日に備えることができるのだとトフラー氏は考えています。しかし一方でこの「富」の変化の速さは人類を潰しかねる要因だと考えて見ることはできないでしょうか。基礎的条件の深部でこれだけ矛盾した変化を、今までと同じような「富」を膨張することでは解決できないのではないか。


そこでトフラー氏は「生産消費者」という言葉をつかって今までの「富」を作り出す構造とは違う可能性をもつ存在について提案します。

....筆者は「生産消費者」という言葉を作り、販売や交換のためではなく、自分で使うためか満足を得るために財やサービスを作り出す人をそう呼ぶことにした。個人または集団として、生産したものをそのまま消費するとき、「生産消費活動」を行なっているのである。
たとえばパイを焼いて食べるとき、「生産消費者」として活動している。だが、生産消費は個人の活動とはかぎらない。パイを焼くとき、家族や友人、仲間に食べてもらうことを目的にしていて、金銭などの見返りを期待しない場合がある。現在では輸送や通信、情報技術の発展で世界が縮小しているので、「仲間」という概念は世界的なものになった。この点も基礎的条件の深部にある空間との関係が変化したことの結果だ。このため、生産消費活動では、無報酬の仕事によって価値を生み出し、世界の反対側に住む見知らぬ人に使ってもらうことすらある。 p.284


ここでいう「生産消費活動」はこれまでの金銭経済で考えられていたフィールドではなく、例えば僕がこのブログで本書を書評しているのはまさに「生産消費活動」といえます。経営者や経済学者はタダ飯はありえないといいつつも、実は金銭経済は生産消費者が作りだしたタダ飯に依存しているのであって、両者ともに切り離せない状態なのが現実の経済の姿なのです。


これまで行なってきた合理的な経済というのはこれからも必要なフィールドです。そうしなければ多くの人々を不幸に至らしめることは、20世紀の多くの失敗を通して見ればわかることだと思います。しかし隠されたもう半分である「生産消費活動」がもたらす「富」というのがどのようなものかと見つめることは、2008年の金融危機を体験した私たちにはその重要性が理解できます。僕はこれまでの資本主義がなんとか「富」の変化に対応していくと考えていますが、この「生産消費活動」はこれからますます重要なことになっていくのは間違いないでしょう。


富の未来 上巻

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富の未来 下巻

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