歴史とは何か  E.H.カー  清水幾太郎 訳

みなさんは「歴史」という言葉に何を感じますか?今と関係ない過去の話のように感じますか、それとも過去から続く現代のことを思い浮かべる人も多いかもしれません。今回の著者であるE.H.カーは当時ケンブリッジ大学の教授で、その時の講義を訳した本です。しかし話の内容はかなり高度な「歴史哲学」であり、ちょっと歴史に興味があるような初心者の方はカー氏の議論についていくことができないでしょう。なので今回は話がわかる人を前提として文章を書きますことを宣言しますw自分自身がさぞ知識人のように語ることは嫌いですが、自分なりの解釈を好きに語るというのがブログの良さなので、今回は好き勝手に語ってみようと思います。


この本で一番有名なフレーズは「歴史とは過去との対話である」でしょう。もっと正確に引用してみます。

歴史とは歴史家と事実との相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。p40

しかしここには問題が潜んでいます。ここでいう事実が本当に合ったかどうかという問題です。歴史学はその性質上古い文章を読んで解読しなければなりませんが、もしある古い文献にとある事件が書かれていたとしても本当に起こっていたのでしょうか。その事件が多く記録に残っているのであれば確かに起こっただろうと考えていいわけですが、古代や中世などはそう簡単にはいきません。ある歴史家はとある事件をあったと考えても、ちがう歴史家はあったと考えない。そうなってくるとお互いの歴史観というのが違ってくるのは必然です。その違いを判断するために、歴史家は時代の洗礼を受けなければなりません。どんなに優れた歴史家も当時の時代の中での制限や、価値観によって縛られます。つまり、すべての歴史家の事実解釈には現代性が入り込むのです。そして歴史家はそういう作業でしか事実を捉えることができないのです。だからこそ、カー氏のいう「事実との相互作用の不断の過程であり、現代と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります」という言葉に力があるのです。事実の相互作用の不断の過程を行うこそ優れた歴史家に必須要素だとぼくは考えます。


しかしカー氏は後半さらに話を飛躍させていきます。

過去が未来に光を投げ、未来が過去に光を投げるというのは、歴史の弁明であると同時に、歴史の説明なのです。・・・ですから歴史とは過去と現代との間の対話であると前の講演で申し上げたのですが、むしろ、歴史とは過去の諸事件と次第に現れて来る未来の諸目的との間の対話と呼ぶべきであったかと思います。p182-184

これを説明するにもさらにカー氏からの引用が必要でしょう。

・・・すべて現在の思考は必然的に相対的なものですから。歴史における絶対者というのは、まだ未完成な、生成の途上に或るもの---それへ向かって私たちが進む未来に或るもので、私たちがそれへ進むにつれてようやく形に出来るようなもの、また、私たちがそれへ進むに連れてその光に照らして過去に対する私たちの解釈に次第に形が与えられるようなものなのです。p180


ここでは歴史に対する認識が相当抽象的になっています。カー氏は現代と過去という対立の方式で歴史を語るのではなく、次々に起きてくる諸現象との対話も含めながら事実との相互作用の不断の過程を続け、歴史を生成しなければならない。つまり実はカー氏の歴史観には未来というものに対するひとつのアプローチがあることに僕は膝を打ちました。僕自身も歴史を勉強してきましたが、どこにも未来を含めた歴史観が存在しないことに長くいらだっていました。そこへカー氏ははっきりと過去と未来のつながりが歴史になり得ることを宣言くれています。これは相当ラディカルな歴史観だと思います。なぜなら歴史ということが単純に過去にあったことを示すものなのではなく、どんな歴史も恣意的に変え(わ)ることができるのです。


歴史とは何か (岩波新書)

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