ルナティックス 松岡正剛


モノリスの月からの信号が今宵もとどいている」


この始まりの言の葉からでも、本書がただものではないとわかっていただけると思う。そう、ただものではない。ただものどころか、本書は月にあるのモノリスからの信号を受け止める地球側のモノリスだ。
このモノリスのモチーフは、おそらく「2001年宇宙の旅」から採ったのだろう。スタンリー・キューブリック、アーサー・クラークによるこの有名な映画では、ヒトザルが黒く輝くモノリスを発見することで、サルからヒトに進化し創める。そして300万年後、宇宙に進出したヒトは月面でモノリスに再び出会うが、そのヒトは狂って死ぬ。


もうこれだけでお腹いっぱいな方がいるだろう。勘違いしないでほしい。こんな話が黒きモノリスに練成されるほどに凝縮されているのだ。暦から始まり、科学な月があり、絵画の月があり、俳諧の月あり、哲学の月があり、神話の月があり、ラフォルグの月があり、文学の月がある。
さらこれ以上のものを含む本書を、つたない技量と頭しかないわたしが約すのは不可能だろう。なのでこの月影礼賛本を自分自身の月への想いとともに語るだけにとどめよう。
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青い満月が煌々と照らしている、クリスマスの近い冬の夜だった。ちょうどその時期いろいろなことがあってかなり気がめいっていた。地面ぼんやりを見て歩く日々が続く中、ある通りを歩いているとある女がお金をねだってきた。なんでも子供のためにおもちゃを買うお金を落としたという。さらにわたしも病気で・・・と言ってゴホゴホとわざとらしい演技をされた日にはたまらない。どうしようかと考えたが、結局すこし小銭をあげた。このやりとりでわたしはもういてもたってもいられなかった。
そんなときにふと夜空を見上げると、月があった。満月か、ほとんど満月に近い月は、青く輝いて街の明かりに勝てそうなほど強い光をわたしに浴びせた。死にたくなるほど青く細く強く光る月。絶対的な死の観念ではなく、あくまで漠然としながらもはっきりした死へのいざない。もういやだ。自分の中が月光に汚染されたのだろうか。


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自分で書いておいてこれはなんでしょうね。きっとどっかの三文小説からパクってきた文章をコピペしたにちがいない。こんな感じでも、月が人に与えるものは、不可解で、摩訶不思議なものだとわかってもらえるのではないだろうか。
しかし、本書をハードカバー版で借りてきたのだけど、文庫版の表紙とくらべると本書のもつ妖しさがほのかに滲みでてきていい。文庫版はもうちょっとなんとかならなかったのだろうか。


最後に、神話において月がどのような象徴として見られたかをすこし述べたい。松岡氏によると、エリアーデは「月=雨=豊饒=女性=ヘビ=死=周期的再生」とし、キャンベルは「月=不死=杯=冠=雄牛」としたそうだ。古代における月の意味は、いろいろ示唆しているようにみえて、おもしろい。

ルナティックス - 月を遊学する (中公文庫)

ルナティックス - 月を遊学する (中公文庫)

ルナティックス―月を遊学する

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