255書評-自由からの逃走 エーリッヒ・フロム 日高六郎 訳

前回の書評まではハイエクに関連した人物や本人の本を紹介しましたが、今回はフロイト派の学者でありながらもフロイトを批判して派閥を抜けだし、フロイトの影響を受けた独自の心理学で社会の分析をしたエーリッヒ・フロムによって1941年に書かれた「自由からの逃走」です。ハイエクとの共通点はどちらも「自由」を主題としているところであったり、ナチスドイツから移民した人物であることです。ハイエクはイギリスでフロムはアメリカという違いはありますが、ふたりにとってなぜドイツは自由を求めた結果、全体主義におちいったかを考えます。ハイエクの「隷属への道」はその分析だけでなくイギリスなどの連合国陣営の社会改良主義者に対しても書かれましたが、今回の「自由からの逃走」は全体主義に賛同した人々の精神を社会心理学を用いて分析していきます。さて、2年以上前の僕は本書をどのようにかいていたのでしょう。


■コメント 2010-05-03
自由をもとめて走った行為が、なぜファシズムのような全体主義に行き着いたのか?「確実性への強烈な追求は、純粋な信仰の表現ではなく、たえられない懐疑を克服しようとする要求に根ざしている」という文章は、その理由を的確に答えているように思う。近代化はそれまでの人のつながりを壊し、個人化という名の自由をあたえた。しかし自由に不安をもつ者はしだいに自己喪失していき、その恐れから逃避するために権威主義者や隷属者になってしまう。フロムは逃避のための自由ではなく、「積極的自由」を提案するけど、なかなか大変だ。


このコメントはなかなかまともにしていると今から読み返しても満足しています。このフロムの自由に対する考え方は政治学アイザイア・バーリンの「積極的自由」と「消極的自由」と共通している思考を感じます。おそらくバーリンがフロムの影響を受けたのでしょうが、確固とした証拠はないので何とも言えません。
話を変えて本書について読んでいくと、フロムはまず個人の心理だけで世の中が成り立つわけではなく、社会的心理というものがどれほど個人の自由を主張しても結局動的に働いてしまうことについて言及しています。個性化を押し進めると自我の力の成長しますが、その自我が社会の強力な力によって孤独が増大していきます。そして個性を投げ捨てて社会と言うなの外界に没入して、孤独と無力を克服しようとする感情が生れ、依存していくようになる・・・とフロムは考えます。もし人間が自然に対する自発的な関係を作り上げることができれば弁証法的過程で個人的自我の自由を発揮できますが、実際にはそのようになることはできません。その個人の自由がかえって他者との分離を促進して、孤独感と無力感から逃避のメカニズムが生れるからです。そしてフロムはこのように結論を出します。

本能によって決定される行動が、ある程度までなくなるとき、すなわち、自然への適応がその強制的性格を失うとき、また行動様式がもはや遺伝的なメカニズムによって固定されなくなるとき、人間存在がはじまる。いいかえれば、人間存在と自由とは、その発端から離すことはできない。ここでいう自由とは「・・・・・・・への自由」という積極的な意味ではなく、「・・・・・・・からの自由」という消極的な意味のものである。すなわち、行為が本能的に決定されることからの自由である。  p.42


これはドイツが受け継いできた観念論の否定でもあり、またそれでも人間が自然から抜けだした存在であるかということをフロムがもっていることが確認できます。
以上「自由からの逃走」からフロムの考えを抜き出しましたが、実際に読む上で参考になればうれしいです。


自由からの逃走 新版

自由からの逃走 新版


「自由からの逃走」 目次
第一章 自由・・・心理学的問題か?
第二章 個人の解放と自由の多義性
第三章 宗教改革時代の自由
   1.中性的背景とルネッサンス
   2.宗教改革の時代
第四章 近代人における自由の二面性
第五章 逃避のメカニズム
   1.権威主義
   2.破壊性
   3.機械的画一性
第六章 ナチズムの心理
第七章 自由とデモクラシー
   1.個性と幻想
   2.自由と自発性
付録 性格と社会過程