あの戦争と日本人  半藤一利

作家半藤一利氏といえば、数多くの歴史本やノンフィクションを書くことで有名な方です。特に太平洋戦争や昭和史について記した著作が多く、今回はその中から「あの戦争と日本人」を取り上げ、次回に同じく半藤一利著の「ノモンハンの夏」について書評するつもりです。

本書の始まりは半藤氏が作家の坂口安吾氏から聞かされた歴史の一説に頭を殴られたような衝撃をうけたことから始まります。そこから半藤氏は歴史の見方に絶対的なことはなく、様々な要素を集めて推測する歴史探偵のようなことをしなければならないと気づき、坂口氏に弟子入りしたと書いています(笑)。
日本はぺりーが来航して以来様々な争いに巻き込まれ、時には巻き込んできました。半藤氏は幕末からすでに日本が太平洋戦争で負けることになる根本的な原因ができていたことを指摘します。
それはまず西南戦争時に山県有朋が「参謀本部条例」を成立させ、参謀本部が陸軍卿(大臣)に優越する地位を確保したことが、後に問題になる統帥権問題を作り出すことになったことです。これは大正の終わりから問題になり、内閣よりも参謀本部参謀総長軍令部総長)が優先して天皇を輔弼するということが政治の混乱を引き起こし、しいては国民が内閣を信用しなくなり、さらに日本軍は世界から疑いの目で見られるようになったのです。


日本が決死の覚悟で挑んだ日露戦争では日本軍はロシア軍に勝ちましたが、それは日本がそれまでに近代化をある程度整えた上で、しかもその勝利は辛勝だったことを軍部は国民に広く伝えませんでした。このことは国民を勘違いさせただけでなく日本軍それ自体も日露戦争での結果の分析を怠り、精神主義や白兵突撃といった日本軍の物資がなくやむを得ず行った行動が勝因だとして讃えて、本当はギリギリ中のギリギリだったことは一部のエリート軍幹部しか理解していませんでした。悲しいことにその幹部たちにもわかっていない人は多くいたのですが。


これらは日露戦後の精神風潮に大きく関わって行きました。日本は神州だとする信仰が大きく発展しただけでなく、一方ですべてをひとつのもとに平和を達成しようする八紘一宇と言う言葉が田中智学という人物につくられ、それに共感した多くの民間人や軍人がその理想に心を惹かれていきました。その中には石原莞爾という理想に燃える軍人であり、さらには天才的な戦略・戦術家だったのですが、彼については後日別で紹介したいと思います。


これまでなんとか列強に追いつこうと全力で駆け上がってきた日本ですが、ヨーロッパでは第一次大戦後にそれまでとってきた政策とは違う方針をとっていこうをする世界の風潮に日本がだんだん適応できなくなっていきました。とりわけ陸軍の師団増加や艦隊の保有比率が、アメリカ・イギリスが10に対し、日本が6という比率に決められたことに日本海軍は大もめになりました。せめて7をあくまでも主張する日本に対して米英と日本は相互に不信感をいだいていきます。日本はあくまでも軍部拡張をしようとしていると捉えられ、米英との関係は緊張感を増していきます。

しかも日本国内は政府と軍部の間で一致した政策が取れませんでした。両者は対立のたびに妥協したり軍部か内閣のどちらかが政策をゆずらないので、内閣が成立してはすぐ解散ということを繰り返しました(今とまったく同じ状況です)。それによって日本の外交政策はコロコロ変わり、国際関係の信頼を著しく傷つけた上、最後はしっかりした戦争戦略もないままただでさえ泥沼だった中国との戦いの上、アメリカと連合軍の戦いにも突入します。


そしてそんな状況で突入した戦争では、どんな精神主義や根性であろうとも勝てるはずはありません。以前紹介した堀栄三氏の本にある通り日本陸軍には昭和18年の中頃まで対アメリカ戦の戦術すらなかったという状態です。その中で多くの日本人兵士は不合理の中で死んで行きました。ある人は白刃突撃で、ある人は船の沈没で、ある人は特別特攻隊で、そしてさらに多くの人が餓死で死んだのです。半藤氏は陸軍165万人の中の70%は餓死であり、海軍の海没者は18万人、そして陸軍の輸送船中の海没者も18万人だと紹介します。*1
これを読んだとき僕にはなんとも言えない虚脱感が身体を支配しました。これは単純に日本軍が悪かったという問題ではないことは、わざわざこの書評を読んで下さった方には分かってもらえるでしょう。「ノーリターン・ポイント」は日本がドイツ・イタリアと三国同盟をむすんだときだと半藤氏は考えますが、表面上はそうでもそこまでたどり着かざるをえなかった日本人の精神や社会構造はどうなのか。これは僕の中でもまだまだ答えが出ていません。


最後に昭和天皇と敗戦について今回は締めくくりたいと思います。昭和天皇は戦前から常に戦争拡大することに反対でした。対中国との戦線拡大にも反対でしたし、ましてや国力がまるで違うアメリカとの戦争はその国力差がわかった上で大反対でした。しかし軍部強硬派の勢いと、国内世論の反米英に押し切られてついに開戦の宣言をしたことは痛ましいことです。天皇家万世一系であり、現人神とされていても、国民の意にそぐわない天皇は退位させられただろうと昭和天皇は言いましたが、これは間違いないだろうと思います。
現代からみるとあまりに正しすぎる昭和天皇の考え方も、時代が違えば少数派だということは歴史という審判がアンフェアだということを示しているのでしょうか。


あの戦争と日本人

あの戦争と日本人

*1:p.328-329