黒い雨  井伏鱒二

1945年8月6日は世界にとって衝撃の日になったといっていいでしょう。アメリカ軍が世界で初めて原子爆弾を日本に目掛けて投下したことは、人間が人間を殺傷するだけでなく地球の環境も潰せるようになる手段を人間が手に入れたことを意味していますし、星を生み出す力の一部を手に入れたことでもあります。そして日本が降伏して、アメリカとソ連が核爆弾を製造し合いお互いに牽制することで冷戦という奇妙な戦争が始まりました。
この歴史的な日に広島にいた人々の行動と、原爆によって起こったことを様々な人間の目から描き出すのが本書「黒い雨」という小説です。


まず基本となるのは主人公である閑間重松の姪である矢須子の日記を清書することから始まります。姪の矢須子は原爆が落ちた時には広島にいませんでしたが、広島から罹災者がやってくるのを見て広島に向かいます。そしてそこで黒い雨に遭遇してしまいます。
この後は矢須子の日記だけでなく、原爆投下時に広島にいた人の話から、広島の練兵場にいた一般兵、矢須子のいた工場の人たち、広島に何かあったということで周りの村々から被災者救済のためにむかっていった人たちのことも描かれます。

表現は淡々としていながらも、むごたらしい描写もわずかながらあります。実はこの「黒い雨」を古本で買ったのですが、その本ではむごい表現の箇所に数字を打ってありました。とにかく原爆の死に方は本当にひどいと言わざるをえません。熱線によって一瞬で黒焦げにされた人、家屋が倒壊してその下敷きになって死んだ人、さらに倒壊した家屋が火事になって焼かれて死んだ人、そしてなにより放射性物質を一瞬で大量に浴びたことによる原爆症を発症した人。小学生のころにそういうむごたらしい絵本やマンガを読んで何度も衝撃をうけて、自分が傷ついてもいないのに心のどこかが確実に傷つき蝕まれる感覚を味わいました。しかしこの「黒い雨」では原子爆弾を投下されたことに特別な政治的意味を持たせていませんし、広島での原爆にまつわる話を多くの視点を交えて見ていながらも、さらにどこか一歩引いた視点から観察をしていると感じます。


本当に井伏氏はただ淡々と原爆の話を書きたかっただけでしょうか?僕は本書を読んでいて井伏氏の精神の底にはじっとしていながらも見るべきものは見逃さないような感情がうごめいていることを感じました。それこそ井伏氏が初期に書いた「山椒魚」のように。見るべきものはしっかりと見据えながらも決して感情だけでは動かない。そんな印象を僕はうけました。

最後に井伏鱒二と昨日紹介した太宰治はなぜ仲良くなれたのでしょうか。小説の表現もスタイルも内容も正反対のように見えますが、お互いに違う人間だったがゆえに仲良くなったのでしょうか?これはもう少し探ってみたいですね。


黒い雨 (新潮文庫)

黒い雨 (新潮文庫)