メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故  大鹿靖明

2011年3月11日に起こったことを知らない日本人はだれもいないでしょう。マグニチュード9.0という規模の地震が東北・関東を襲い、さらにその後にやってきた津波が沿岸部を飲み込んでいった光景をテレビで何度見ても恐ろしく感じます。そしてそれだけではなく福島第一原子力発電所において原子炉を冷却できない状態に陥り、最終的には上部にたまった水素が爆発して建屋を壊した映像を見た時に思考が止まったことを覚えています。本書は東日本大震災が起こった後に生じた福島第一原発の事故について対応した人びとや組織の行動を細かく取材して描いたノンフィクションのドキュメントです。


本書に登場する人物は、まず福島第一原発で働いている作業員や吉田所長、東電の勝俣会長と清水社長、政府関係者(主に菅直人総理と枝野官房長官、そして政務官など)、さらには東電のメインバンクである三井住友銀行の人間まで関わっています。様々な人間が複雑に絡み合いながら福島第一原発での事故に対応していくのだが、皆まず何をすべきかは知っていたのだけど全員の行動はバラバラで統一しておらず、しかもそれぞれの利益や思惑、誤解、無智などによって対応が遅れていった結果、一号機・三号機・四号機が次々に水素爆発を起こして建屋が壊れ、放射性物質が空中にばら撒かれることになりました。


地震が起きた後から福島第一原発の作業員はすぐに原子炉緊急停止(スクラム)後の確認作業を行なっていたのですが、実は実際に一号機の非常用復水器を動かしたことがなく、しかもいったん動いた非常用復水器を冷却速度が速すぎるとして吉田所長への連絡なしに止めてしまいました。これが後に大事になったことはみなさんの知っているとおりです。そして地震後に訪れた大津波福島第一原発を襲って六号機以外の電源を喪失させ、想定をはるかに超えるシビアアクシデントになりました。


この状況の中政府と東電がまず対応に乗り出すのですが、どちらもバラバラに行動してしまいどちらがこの状況の主導者なのか分からないまま対応していきます。政府と東電の意思疎通がほとんどできていなかったことは、現場への命令が統一していなかっただけでなく、現場でも多くのミスを誘いました。最終的に原子炉の詳細な設計図をもち、なおかつ情報を独自に収集していたアメリカが日米連携を申し出てきて、日本政府と防衛省や東電などと米国原子力規制委員長のヤッコ氏などが「連携チーム」を組むことで、ようやく組織的に対処できる状況を作るだけでなく、アメリカ政府がずっと抱いていた日本政府と東電への不安を安心させることができました。


さらに事故がある程度収まってからもこれから東電をどのように処理していくかでさらに混乱が続きます。まず東電のメインバンクである三井住友銀行が儲けるために危機に陥った東電に緊急融資を行ったことから混乱が始まります。確実に儲けようとする三井住友銀行と、一度東電に安定した電力を確保するための公的資金を与えた後、企業再生支援機構による処理によって東電を事実上解体しようと提案した古賀茂明氏などの改革派官僚と対立が起きます。さらに無駄な国費負担を嫌がる財務省と東電と原発をなんとか維持したい経産省の主流派までが入り混じり、東電処理は暗礁に乗り上げるのですが最後は政府が東電に多くの責任を押し付ける形で収束します。


しかし政府の代表である菅首相原発政策において自分のブレーンと原発政策を維持したい主流派経産省の中で対立を深めるのですが、脱原発を考える菅首相経産省の提案してきた未来技術に魅了されて罠に陥ってしまいます。そして自然エネルギーと省エネによる電力の供給を主張しすぎたために主流官僚や電源安定化を考える人たちに見放されて総辞職につながってしまいました。


これは日本にとって幸運だったのかそれとも不幸だったのでしょうか。菅総理中部電力浜岡原子力発電所に運転停止を要請しましたが、それはなんの法令を元にした発言ではなくただのお願いでした。その後次々と日本中の原子力発電所が定期検査のために停止したまま再稼働できない空気になってしまい、昨年の夏だけではなく今年も全国で省エネを要請されました。最近になってようやく福井の大飯原発が稼働のために準備を始めたところですが、原子力発電から生まれる高濃度の放射性物質の最終処理を決めるなど課題は山積みです。この問題には原発に賛成でも反対でも必ず議論を重ねなければならないと思います。時間をかけて原子力発電所を無くすようにコンセンサスが発展するのか、それとも原子力発電の効率が良くなるように発展させるのか、僕たちは決断していかなければならないでしょう。


メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故

メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故