高度経済成長は復活できる  増田悦佐

今回紹介するのは「高度経済成長は復活できる」という刺激的なタイトルがついた本です。主な内容は高度経済成長を日本はなぜ達成できたのかというよりもどうして高度経済成長は終わってしまったのかに重点がおかれていて、高度経済成長を止めた原因とそれを作り出した人間と構造を暴きつつ、最後には高密度都市を推進していくことが高い経済成長への道筋につながるというところで終わります。


筆者がまず注目するのは、経済成長と大都市への人口流入が相関関係になっていることです。1955年から70年にかけて実質国内総生産が年平均で9.7%も上がった時期があり、この時期と大都市への人口流入はグラフで読む限り一致しているように見えます。そしてこの期間に経済規模が2倍になるのにわずか8年しかかかりませんでした。それなのに日本人は高度経済成長の素晴らしさを素直に評価していないと著者はいいます。特に経済の停滞がオイルショック後から始まったという通説に批判を加えるだけでなく、高度経済成長がオイルショックという突発的な出来事や人口移動が原因で経済成長が止まったことを宿命的に見ることにも反論します。
ではなぜ高度経済成長は息の根を止められてしまったのか?その答えは田中角栄が主犯で、彼がもらたした様々な政策が原因で経済成長が低くなったのだと言い切ります。そして彼と彼を支えた官僚たちの社会主義的都市計画がもたらした地方と都市の不平等是正政策が多くの赤字国債を生み、さらに「もっといい生活がしたい」と思う人口層が大都市に向かわなくなった原因だと主張します。

このように田中角栄を悪玉にする一方で、田中角栄は天才的な革命家で戦後最も傑出した政治家だったとも考えます。しかし彼の「弱きを助け、強きをくじく」という信念は政治と経済の利権化を推し進め、さらに公共事業を担う建設業を必要以上に拡大させて、これらを維持するために何百兆円という予算を特定財源で賄いながら高度成長を食いつぶしたのです。


そして地方と都市の平等という名のもとに手厚い保護政策が地方に施された結果、地方と都市の勤労世帯の収入が多くの県で大都市圏を上回ることになりました。個人の収入は都市部で働く人が地方より高いのですが、世帯という単位で見ると見事に逆転する結果となっているのです。必ずしも地方だからといって貧乏になるわけでもなければ、大都市で働いているから裕福だということにならないということです。むしろ下手に弱者保護を声高にさけぶ人たちが、結果として差別主義者になっているのではないかとも著者はいいますが、僕としてはその意見は保留しておきます。


ここまではどうして高度経済成長は止まってしまったのかについて著者はずっと書いてきましたが、ではどうすれば高度経済成長を復活させることができるのでしょうか。その答えは都市の高度化だと著者はいいます。しかし本書は小泉政権時の2004年に執筆されているので前向きな期待を込めてこのタイトルをつけられたのだと思いますが、具体的な内容はあまり出来が良くないという印象を感じます。
ただ大都市圏の鉄道網の発展に目をつけているのは面白いと思いました。東京・大阪・名古屋という大都市圏がそれぞれ発展した鉄道網をもっていますし、さらに新幹線という大都市間をつなぐ高速鉄道が日本では敷きつめられているのも重要なポイントでしょう。本当に過疎で苦しめられている地方の人たちは、大都市圏やそれこそ人口の多い地方都市に集中して住むということは少子高齢化の今重要になるかもしれません。しかしずっと住んでいた土地から離れて暮らすということはお年寄りの方々にはかなりの負担になるでしょう。経済成長というのは利益も負担も生み出すコインの表裏なのです。


高度経済成長は復活できる (文春新書)

高度経済成長は復活できる (文春新書)