日本人のしつけは衰退したか  広田照幸

みなさんはどのような「教育」や「しつけ」をされて育ちましたか?あるいは今成長期の子どもを持つお父さんとお母さんはどんな「教育」や「しつけ」を考えていますか。現代社会ではこの「教育」と「しつけ」は複雑に絡み合っていて、どのようことを子どもに教えるのか、どのように伝えるのかを真剣に取り組まなければなりません。


なぜこのような状況に現代日本の教育はなってしまったのでしょうか。これにもきっちりとした歴史的背景が存在します。本書では大正時代における農村の「しつけ」から話が始まります。大正時代の地域共同体としての農村は、学校での教育と対立しつつ新しい考えを農村に伝える関係にありました。しかし学校での教育よりも地域共同体内での「しつけ」がより重要視されていました。その「しつけ」方法は家族中心となって行うというより、周りの大人たちや家族の「労働へのしつけ」がもっとも大切でした。礼儀や作法などより、労働のための「しつけ」こそもっとも重要な教育だったのです。
これに対して中・上流階級では現代のように教育に悩む母親が登場してきます。ここで始めて「学校での良い生徒」=「家庭での良い生徒」という感覚が出現しましたが、学校や家庭の教育主義には3つのお互いに矛盾した主義が存在することになりました。
1.童心主義
2.厳格主義
3.学歴主義
1は主に子どもの純粋性を賛美したりすること。2はちゃんとした人格や生活規律をつけさせようとすること。3は教育や学歴をつけることで子どもを成長させること。これら3つの主義が時にはお互いに矛盾しながらも教育に影響を与えているのではないかと著者の広田さんは考えます。しかもこれらは現代日本の教育にも脈々と流れているとも指摘するのです。


しかしこれらの村と都会の教育システムは戦後一変します。戦後の急激な経済成長が、それまでの農村を維持していた地域共同体を破壊したのです。それまで農村に住んでいた人たちがそれまで行なっていた農業での生活がなりたちにくくなって都会へ出てきた。この高度成長期を境に学校は家族へ近代教育の影響を強めます。ところがその後学校教育が批判されていき、最終的には教育する家族が学校を従属する結果になったのです。
親の要求は先ほど上で紹介した3つの主義が中心となっていて、お互いに統一した要求を学校に突きつけることもできずにいます。
さらに戦後総中流階級とも称された社会構造にも、れっきとした階級と経済格差、さらに社会格差が存在していることも浮きぼりにします。


ここで最初の問題である「日本人のしつけは衰退したか」はどうなったのでしょう?答えは「しつけは衰退しなかった」のです。家族や学校などが礼儀作法や規律を教え込み、さらに勉強に励む子こそ良い子であるという責任を負っている。中でも「家族・家庭」での「しつけ」はほとんど無制限の責任を課せられているといっていいでしょう。
これにはどう対処すればいいか。本書からひとつヒントを出しておきます。それは完璧な母親や父親になろうとすることや、完璧な子どもを作ろうとしないことです。社会や身近なコミュニティで自分たちがしっかりとした家族だとみせようとしても、実際は完璧ではありません。何かしらの問題を抱えていたりするものですから、どうしようもないところはどうしようもないと自ら認めるしかないでしょう。
僕は子どもに対して「しつけ」や「教育」についてどうすればいいか悩む方に本書をオススメします。


日本人のしつけは衰退したか (講談社現代新書)

日本人のしつけは衰退したか (講談社現代新書)