タテ社会の人間関係  中根千枝

あなたはタテ社会という言葉に対して、どのような感覚を持ちますか?会社や学校での先輩・後輩関係、上司と部下、地方を国など上下関係の日本社会などを想像するのが普通でしょう。本書はそれらについても言及しているのですが、そういう上下関係以上の抽象的な社会構造が、日本全般の組織や体制に大きく関わっているかについて語っています。そしてその抽象的な社会構造が日本ではタテ社会なのだと著者の中根氏は考えるのです。


本書を読み取るキーワードは「資格」と「場」です。まず「資格」ですが、本書での定義は普段我々が使い意味よりもずっと広く、生まれながらに個人にそなわっている属性(素性・親の職業による階級など)と、生まれた後に得ることのできる属性(学歴・職業・地位など)に分けて説明をします。
次に「場」の意味ですが、これはそのまま引用します。

・・・一定の地域とか、所属機関などのように、資格の相違をとわず、一定の枠によって、一定の個人が集団を構成している場合をさす。p27

つまり「場」というのはそのままの意味で、ある会社や学校に所属しているだけで「場」に存在していることになります。
中根氏は個人はどの社会もおいても、この「資格」と「場」による社会集団や層に所属して、そして他の社会集団と比べて日本社会はこの「場」を強調していると考えます。


まず日本社会に根強く浸透している集団認識を、日本の伝統的な「家」の概念から始めます。さらにこの「家」というの生活共同体がもたらす人間関係がそのまま顕著に他の組織にも浸透していることを筆者は暴きます。「家」という集団が個人をしばる「枠」となり、その中の個人は結束を強制される。この結束のために「同質性」や「情的な結びつき」を強調することで、より結束を高めていく。これは大企業を社会集団としてみた場合にも同じようなことが観察できると言います。


そしてこの「家」と他の「家」同士の関係がいわゆる「ウチ」と「ヨソ」の意識を高めていく結果になっています。日本社会では一定の「資格」という普遍的なルールに似たものが確立せず、その代わり「家」というグループと他の「家」というグループの境界をはっきりと区別しなければならなかったということです。


この日本独特の「場」という「枠」の中で発達したのが、いわゆる「タテ」の組織です。この組織の中では同等の身分・資格者にも必ず序列意識があり、同じ実力や資格があったとしても年齢や勤続期間などが序列を決めてしまいます。この強い序列意識には誰だってやればできるようになるという「能力平等主義」が根底にあるといいます。普段から能力差で人間を区別せずに、年齢や序列の枠内で能力や出世が認めてられていくのです。


この結果として日本社会は「ヨコ」組織が弱い結果になりました。本書での「ヨコ」の概念は、ある集団や組織はとても強い閉鎖性があるけれども、その組織の中では誰でも絶対平等性や承認が確保されるといった意味です。その閉鎖性のたとえにインドのカースト制度などを引き合いに出します。カースト制度では絶対的な身分が生まれた時から決められていますが、同じ身分の中では非常に幅広い「承認」や助け合いがあるようなのです。
ここで日本の「ヨコ」の組織が弱いということは、自前主義が発展しやすいということになります。「ヨコ」に頼ることなく「タテ」の構造の中で「分業」よりも「一体型」の組織に発展しやすくなります。事実戦後の日本企業はそのままの組織として成長しました。現代日本の「分業」や「分散」が弱いことは、そのまま今の日本の政治、経済、産業、教育、情報などあらゆる場面で顔を出していると考えるのは僕だけでしょうか。


タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)

タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)