第二回チベット旅行記 河口慧海

かつてチベットに潜入した河口慧海師が、再びチベットに訪れたときの旅行記だ。


わたしには好きな坊主がふたりいる。ひとりは山本玄峰で、ふたり目は他でもなくこの河口慧海だ。他にも破格といっていい坊主はいっぱいいますが、名前しかしらないので、とりあえずこの二方をわたしの心の師としています。





この第一回チベット旅行記では、超人としかいいようのない努力と、御仏が見守っているような運の強さを発揮した。これはすごい。ほんとうにスゴイ。まずここのサイトを読んでみてほしい。この記事を読むだけでも、慧海師がスゴすぎて、読む側が圧倒されることをわかってもらえるだろう。
慧海師がはじめてチベットを訪れたときは、チベットは他国を警戒して鎖国中だった。サラット・チャンドラーというインドの僧侶が以前に滞在していたのだが、彼が外国のスパイとしてチベット人から疑いをもたれたために逃げ出し、以来鎖国が続いていたのだ。そのため公道が通れずに、ヒマラヤを迂回する道(道なき道)を探さなければなかった。その上言葉も習得しなければならないので、潜入するのに3年以上もかかっている。


それにくらべて、この第二回旅行ではチベットはすでに開国しており、慧海師が訪れたときにはすでに3人の坊主が仏教を習得すべく滞在していた。しかし当時インドを統治していたイギリスが、慧海師がチベットに入ることに難色を示したので、また潜入に近い形で入蔵しなければならなかった。


この第二回チベット旅行記では、慧海師の入蔵までの過程と、チベットでの行動について書かれた本である。なぜ再びチベットを訪れたかについては、本書の前半に言及されている。新たに仏典を入手し、仏教をさらに推し進めんとするためだ。これは非常にうまくいったらしく、様々な仏典を入手することに成功している。日本の学者からも高山植物の収集も依頼されていたので、これも果たしている。
さらにチベット風俗の変わりようについても記述がある。上のリンクにある通り、チベットは非常に汚穢な習慣を持つ民族だ。これは第一回旅行記でさんざん述べられていることではあるけれども、この第二回ではその習慣が少しだけ廃れているのを見つける。さらに通貨や貿易が発達したせいで、以前よりインフレが進んだりしたようだ。


中盤からはどういう行程でチベットに入ったかを、日記のように記している。しかも、お世辞にもうまくない歌つきで。たとえば、こんな調子なのだ。

夢やうつつ、現や夢の初めなく覚めて流るる雪山の水 p147


ちなみにこの歌は、わたしがマシだと思ったものを上げた。このような感じでずっと進むのだ。歌はうまくないけれども、思わず歌にしてしまったヒマラヤ山脈の光景と、その気持はとてもよく伝わってくる。しかも冬なのだ。高くそびえる山々の冠雪や、森林限界をこえて繁殖する木々などに気持ちがうごかなければ、それは「おまえはもう死んでいる」といっていいだろう。


しかしこの第二回旅行記には緊迫感が欠けている。もちろん今回も死にそうな目にはあっているのだ。そして相変わらず雪中で、御仏に向かい活殺自在するのだ。だが全体的にはまったりと歌を作りながらの旅行だった。よって、第一回旅行記を読んだ人には物足りないかもしれない。たしかに必須ではないので、本書をよむかどうかは各々の判断にまかせたい。しかし第一回は読んでほしい。


いいですか。第一回チベット旅行記は読みなさい。図書館で本を借りようとも、第二回を読まなくとも。

第2回チベット旅行記 (講談社学術文庫)

第2回チベット旅行記 (講談社学術文庫)


チベット旅行記(1) (講談社学術文庫)

チベット旅行記(1) (講談社学術文庫)




チベット旅行記(4) (講談社学術文庫)

チベット旅行記(4) (講談社学術文庫)


チベット旅行記(5) (講談社学術文庫)

チベット旅行記(5) (講談社学術文庫)