職業としての学問 マックス・ウェーバー 尾高邦雄 訳

今回は、マックス・ウェーバーだ。社会学をかじったことのない人でも、その名を聞いたことがあるかもしれない。実は欧米の社会学の中では、彼の業績は古典としてあつかわれているのだけど、日本ではいろいろあるらしく、社会学の第一人者になっている。この辺は錯綜した状態になっているので、これ以上言えることがありませんが。


さて、これがわたしにとって初のウェーバー本だ。以前に彼の文章(本ではない)をよんだことはあるのだけれども、ものすごく入り組んだ文体なことにおどろいた記憶がある。本書をよんで思うことは、最後になるにつれてだんだん抽象的になっていくということと、不思議な熱っぽさを持っている印象を受けることだ。まず、ウェーバーは学問をする人をこう定義する。


学問の領域で「個性」をもつのは、その個性ではなくて、その仕事(ザッヘ)に仕える人のみである。 p27


学問を成すということは、単純に誰もしたことがないことを無理やりする作り出すことじゃない。その仕事に一生懸命打ち込みつつ、正しい材料と手順を用いて「達成」(問題提起)することをいうのだ。

学問上の「達成」はつねに新しい「問題提出」を意味する。それは他の仕事によって「打ち破られ」、時代遅れとなることをみずから欲するのである。 p30


学問をすることは、ものごとを合理的に考えていくことでもある。それまで知られていなかったものや、知られていても説明できなかったことを導き出すことだ。それは時に実践することと無関係になることもある。そのように学問は、無限にその営みを続けていかなければならないのだ。


しかしこうしたウェーバーの考えが誤解されていったのは間違いない。なぜなら、ファシズムは人類の前進と進化を、高らかに歌い上げていたのだから。

職業としての学問 (岩波文庫)

職業としての学問 (岩波文庫)