中国化する日本  與那覇潤

今回紹介する與那覇潤著「中国化する日本」は最近話題になっている本で、日本と中国の文明を比較対比させてお互いに正反対の文明を作り上げたと主張するかなり刺激的な本です。ですので「中国化する日本」という意味が、「中国が日本を併合する!」とか「中国が世界を支配しようとしている!」などネトウヨの妄想とはまったく違います。しかし日本が中国に近づいていくと聞いて良いイメージを抱く日本人はどのくらいいるでしょうか。これは自分の妄想ですが、あまり良いイメージを持たない人が多数派なのではないかと思います。


那覇氏は以前から興味のあった方で、以前から日本人の特徴や習性についての記事をアゴラ上に載せていました。與那覇氏の根本的な考え方は、日本と中国はまず正反対の性質をもつ文明だという解釈から始まります。以下にその特徴をあげます。

「近世宋朝中国の特徴」
1,権威と権力の一致
2,政治と道徳の一体化
3,地位の一貫性の上昇
4,市場ベースの秩序の流動化
5,人間関係のネットワーク化


「江戸時代に完成する日本化」
1,権威と権力の分離
2,政治と道徳の弁別
3,地位の一貫性の低下
4,農村モデルの秩序の静態化
5,人間関係のコミュニティ化


宋朝中国では貴族制度を全廃して皇帝独裁政治に秩序を一極支配して維持するが、経済や社会を徹底的に自由化する仕組みになったと考えます。これは與那覇氏オリジナルの考え方ではなく、内藤湖南という明治・大正期の歴史家の中国論です。宋以前に存在した唐が安禄山の乱など地方軍閥によって滅亡されたことを踏まえ、一極集中化による効率的な統治を試みたのが他でもない宋朝中国という近世だというのです。これを支えたのは貴族政治を廃止して、「科挙」という誰でも受けられて出世する仕組みと、「郡県制」という「科挙」で採用した役人を数年ごとに転任させたことにあります(しかも自分の出生地は任地にならない)。さらに農家に貨幣を使用するような政策を実施することで、自由市場を基本とした経済発展が起きたといいます。しかしそのような自由競争では必ず勝者と敗者をキッチリ決める状態に陥ってしまいますが、これをリスクヘッジするために、「宗族」と呼ばれる父系血縁のネットワークが支えたといいます。これは父方の先祖が共通していれば、同族とみなしてお互いに支えあうという仕組みだそうで、これなら誰かひとりお金を稼げる人が現れれば、同じ父系をもつ人はその稼げる人に援助を受けることが可能になります。
こうしたシステムが「チャイナ・スタンダード」としてやってきたことを1000年前に拒否することで日本が独自の文明をつくり上げることに成功したが、現在の「グローバル・スタンダード」と酷似した「チャイナ・スタンダード」が日本を徐々に飲み込んでいくのは必然ではないだろうか・・・というのが與那覇氏の考えです。


これはかなり議論を巻き起こす(もうしている?)のは間違いありませんし、特に今まで保守と呼ばれている人たちにいたっては受け入れがたい内容でしょう。本書の主な流れはどのように日本が江戸時代に完成したのかを見ていくことが中心で、ここでも内藤湖南からの日本は戦国以降から近世に入った説を支持しています。その流れを完成させたのか江戸時代で、今も日本の奥底で流れる江戸時代で完成したシステムをずっと維持するか、「チャイナ・スタンダード」にするか二者択一しかないと見なしています。さもなくば日中両国のいいところを寄せ集めようとすると、お互いの完成したシステムが噛み合わず一番危険な状態になると主張します。


これらの話を踏まえてどのように考えればいいでしょうか。僕は松岡正剛氏の千夜千冊1245夜の内藤湖南についての話がかなり気になっています。松岡氏は日本文化と中国文化を対立したものとは把握せずに、中国的ニガリが日本を豆腐にしていったと見たほうがいいと言っています。そして與那覇氏が指摘するような一方的な中国→日本だけでなく、日本→中国という動きも実は見落とせないのではないかとも言います。與那覇氏は「チャイナ・スタンダード」≒「グローバル・スタンダード」との関連性と、日本・中国の違いに着目しすぎていて文化の変相をかなり見落としているのではないかという気がします。
具体的にあげろと言われればそれに答える言葉がありませんので、今回はこのあたりで締めたいと思います。


中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

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