歴史人口学で見た日本  速水融

歴史人口学とは、簡単に言うと近代前の人口がどのように変わってきたのかについて調べる学問です。しかし単純に人口の数を数えるのではなく、人口増加といったマクロな視点から、ある家族がどういう身分だったか、人数は何人かなどを調べるミクロな視点も必要です。本書はこの分野の第一人者である速水氏の歴史人口学との出会いから始まります。ヨーロッパへ留学してそこで歴史人口学という手法を知るのですが、その出会いはなかなか一筋縄ではいかなかったようです。しかしこの経験が後の「宗門改帳」から日本の人口を読み解くという一大事業を達成することになります。


この「宗門改帳」とは何なのでしょうか。一番古い「宗門改帳」は1638年(寛永15)で、鎖国政策と言われている政策の総仕上げの時期に誕生しました。つまり「宗門改帳」とはだれかがキリスト教ではないことの証明のために作られたといっていいと速水氏は考えます。この「宗門改帳」には世帯単位で作成されていて、人口の出来事(動態)も状態(静態)もわかる優れた資料になっています。イギリスとフランスでは「教区簿冊(parish register)」に牧師が生まれた子どもに洗礼した日、結婚の立ち会い、そして死者の葬儀について牧師自身が記録をつけていました。それを分析することから英仏での歴史人口学はスタートしましたが、「宗門改帳」のように毎年作られていないし、教区の正確な人口もわからない。しかし「宗門改帳」は世帯も人口も生死もわかるようになっていて、そこから江戸期の日本の人口や「宗門改帳」からみる社会を想像することが可能になりました。


では実際に江戸期の日本の人口はどうなっていたのでしょうか?速水氏は全体の江戸初期の人口を1200万人プラスアルファ200万人だと想定しています。*1しかしその後100年ちょっとで約3000万人になり、そのあたりで人口が上下するようになりました。*2つまり2.5倍もの人口増加があったと考えられます。3000万人ほどで日本の人口はだいたい止まりましたが、飢饉の時はどの地域も例外なく人口は下がりました。しかし人口増加は全国で均等に増えたのではなく、地域によって増えた場所、減った場所があることを証明しました。さらに速水氏は、京都、大阪、江戸などの都市では普段の年も常に人口の死亡率が高いことから、あぶれた人たちが都市に来て病気などに弱い人達が死んでいくことで人口が全体で見れば均衡した状態になった(都市アリ地獄説)を提唱しています。


このようなマクロな人口動態だけではなく、地方の「宗門改帳」からも様々なことがわかりました。ミクロの人口動態から、日本では勤勉革命(industrious revolution)という現象が起きたのではないかと速水氏は言います。江戸初期から増えた1000万人以上の人口を養うために、人間の労働時間を増やして資本(農具など)を節約して人口増加に対応したのではないかという魅力的な仮説を提唱します。通常産業革命や農業革命では資本を集約し、労働を節約することでどれだけ効率的な作業ができたかが問われます。しかしこの勤勉革命では資本はなるべく使わず、どれだけ人間の労働ができたかが重要になります。ここで大切なのはそれがネガティブで強制的に捉えられたのではなく、ポジティブに働くということが重要視されたことです。この労働手法に美徳や道徳を持ち込むことで、勤勉を日本民族の正義にしてしまったのではないでしょうか。速水氏は二宮尊徳にその完成形を見ますが、石田梅岩も勤勉を美徳にしています。この道徳は間違いなく今の日本での共通した働き方に影響を与えていると思います。


歴史人口学で見た日本 (文春新書)

歴史人口学で見た日本 (文春新書)

*1:1 p.69

*2:2 p.56-7