今こそアーレントを読み直す 仲正昌樹

ハンナ・アーレントはドイツ出身で、その後アメリカに亡命した政治哲学者、思想家だ。著者の仲正昌樹氏は「アーレントになり代わって考える」p21という態度ではじめているものの、なかなか本格的なアーレント入門書になっているように思う(専門家ではないのでわからないが)。


アーレント思想の根源的なテーマは、全体主義に対する批判だということだ。アーレントユダヤ人として生まれ、20世紀はじめのベル・エポック第一次世界大戦を幼い頃に体験した。その後ドイツの大学で学びつつ、ファシズムによるヨーロッパ席巻を目の当たりにする。これはアーレントの思想に決定的に影響した。


第二次大戦後、彼女は全三巻からなる「全体主義の起源」を書くことになる。これは全体主義に至った経緯を「反ユダヤ主義」「帝国主義」「全体主義」の視点から解きあかす。ユダヤ人というわかりやすい悪、経済や領土拡大にによって成立する帝国、原子にまで解体された個人があらたな物語をさがして大衆におちいるなど、19世紀ヨーロッパに全体主義の起源をみいだした。


その後彼女はセンセーショナルを巻き起こす一冊の本を上梓する。「イェルサレムアイヒマン」であきらかにしたのは、普通の人間が命令しだいで平然と悪を実行できるということだ。実はこれ心理学の実験結果でもあきらかになっている。たとえ命令に疑問を抱きつつも、人間は権威の下で粛々と従うのだ。人間の本質を見つめる彼女のまなざしは、深い。


次の著作である「人間の条件」は、さらに人間の本質を見極めようとする彼女の試みがよくでている。彼女は古代ギリシャ人観を参考に、人間であるためには三つの条件が必要だと主張する。

  • 労働(labour)
  • 仕事(work)
  • 活動(action)

まず「労働」だけど、これは肉体が生命に必要不可欠な行動をする総称となっている。つまり農業や狩猟のようなことだ。次の「仕事」は、自然関係とは異なる次元に属する、人間の行動を意味する。わかりやすく言うと、人間の生命活動とは直接関係ないけれども、人間の世界で通用するもの(機械や化粧品や芸術など)を作る運動だ。そして最後の「活動」は、言語やら身振りで他者に対して働きかける行動だ。ここでは、他の二つの概念とは違い「他者」が出てくる。人間は「活動」を通じてお互いをより理解しあうことができるのだ。


アーレントはここから「複数性 plurality」の重要性をうったえる。この「複数性」は群れを意味しない。各々が距離をとりながらも、言語などを通じてお互いを理解するコミュニケーションを成立させることを、彼女は考える。相手に違いがあっても、コミュニケーションなどでお互いを尊重することで、相手をつぶさない。全体主義は、この複数性を押しつぶしたのだ。


さらに個人の内面性を追求することで、彼女は思想を深めていく。

・・・「政治」を動かしている「意見」や「同意」と、哲学的、あるいは理論的な「真理」の間の緊張関係を論じながら、結論としては、理性の志向する「真理」が、「政治」を制約し、自由な活動のための土台を提供すると論じている。 p172


アーレントは「思考」「意志」「判断」という要素を使って、政治をありかたを追求する。それぞれカントの思想を中心に解釈していくので、ここでひとことに訳することは難しい。ただ言えることは、個人の感性と、感性を同じくする他人とのあいだで構成される政治的共同体という自由を作ることによって、よりよい政治を見出そうとしたことだ。いや、彼女の中ではよい政治なんてありえないかもしれない。本書をからみえる彼女の姿は、ただ「まし」な政治を目指していたようにみえてしまう。


最後に著者である仲正氏は、「生き生きしてない「政治」」なんて言葉で締めくくる。みんなわかりやすい政治をもとめるけれど、わかりやすいということは多数に受けいられることで、それにより少数を圧迫することが十分ありえる。それに反してアーレントは、政治にわかりやすさをもとめたりしない。彼女は「複数性」を確保するための方策として、「政治」「自由」「人間性」を徹底的に掘り下げた。このような考え方があることは、わたしたちにあらたな考え方をもたらしてくれると思うのは自分だけだろうか。

今こそアーレントを読み直す (講談社現代新書)

今こそアーレントを読み直す (講談社現代新書)